マネーボーイズ/生涯、愛することなんて

ラブロマンス
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マネーボーイズ

金錢男孩 Moneyboys/監督:C.B. Yi/2021年/オーストリア・フランス・台湾・ベルギー合作

マスコミ試写で鑑賞。公開は2023年4月14日です。

あらすじ:男娼として生きます。

ネタバレはありません。

都会で男娼をしながら、恋人シャオレイ(リン・ジェーシー)と暮らしていたフェイ(クー・チェンドン)。彼はある日、客から暴行される。そのことを知ったシャオレイは、客の男を見つけ出し仕返ししようとするも、客の部下にやり返され重症を負う。警察に捕まることを恐れたフェイは家を出てしまい、そして5年の月日が経った。

別の都市で良い暮らしをしていたフェイのもとに、同郷のロンがやってくる。ロンはフェイの仕事を知っており、「兄貴に出来るなら自分にも出来る」と言い出すのだが……。

男娼として生きることはきっととても大変で、この映画の冒頭にあったとおり客から理不尽な、あるいは客の性癖で、暴行されることもあるのだろう。中盤に出てくるある男娼は、太客を見つけたと思ったらトイレに行っている間に私物をすべて盗まれてしまっている。そんな話を聞きながらも、「お前たちに出来るのなら俺にも出来る」と若干たかをくくっているロンに、すこし嫌気が差してしまった。

セックスを売るということは、他人の身体の一部が自分の身体に入ってくるのを受け入れるということだ。本来なら信頼関係のもとに行われる行為を、金銭のやり取りで行うことに対して、部外者である私たちがあれこれ言う、ジャッジすることはできないと思う。それはその人の人生であって、例え家族であったとしても止めることはできない。ただ、身体を売る人には、誰かに救われたいと願う気持ちはあるのかもしれない。これは想像でしかないし、こんなことを言ったら、身体を売る人を見下していると思われるかもしれない。

話は他の映画にそれるが、今書かないとどこにも書かないので、追記として置いておく。私はNetflixの『ちひろさん』(2023年)を観ないし、観たとしても人に言わない。それは『ちひろさん』自体に問題があるわけではなく、この作品を取り巻くいろいろな意見を見るに、「触れてはいけない領域」のように感じてしまっているからだ。私が、身体を売る人のことをどう思っているかはさきに書いたとおりだが、もっと言いたいことはある。私が言いたいことを封じるだけの力がある、と最近の『ちひろさん』を取り巻くようすを見ていて、思う。
正しくあれ、清くあれ、人を愛せよ、と、自分に厳しくすることは良いだろう。それはその人の勝手だから。でも、同じことを他人に強要はできない。

愛はいつか終わる、とシャオレイは言う。

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