CUT
CUT/監督:アミール・ナデリ/2011年/日本
この記事は2011年に書いたCUT/映画を愛する俺だから、映画のためには痛みさえ | 映画感想 * FRAGILEを修正し転載したものです。
日本映画ですが、監督のアミール・ナデリはイラン人です。キャストは、西島秀俊、常盤貴子、菅田俊、でんでん、笹野高史など。ちなみに台詞が一番聞き取りやすかったのは笹野高史でした。おじいちゃん!
あらすじ:シネフィルが借金返済のために殴られ屋になります。
ささやかに映画上映会を開催し、拡声器で映画の素晴らしさについて街の人に訴えたりしている秀二(西島秀俊)は、死んでしまった彼の兄が自分の映画のためにヤクザから借金をしていたことを知ります。返済期日が迫っているため、秀二は殴られ屋になってお金を稼ぐのでした。
※ネタバレしています。
ほんとうに頭のおかしい人が周囲に迷惑をかけつつ自分の信念に基づいて行動するお話で、とてもおもしろいです。おすすめ。
ロケーションがすごく面白いんですよ。物語の大半はボクシングジムで進むんですが、このボクシングジムがね、とても変わったかんじの場所なの。ヤクザは奥にある事務所でいつも座っている。秀二があまりに無茶をやるので、ちょっと困っている。でんでんはちんぴらのボスなんですが、演技が『冷たい熱帯魚』(2011年)のときとほぼ同じでした。
秀二は、「今の映画は娯楽になってしまったが、そもそも映画は芸術であって金儲けの手段ではなかった、かつての素晴らしい映画を見る機会が失われてしまった、失われた真の映画を我々の手に取り戻そう」というようなことを訴えているんですね。この人はシネフィルだと思うんです、わたし、シネフィルというと『セシル・B ザ・シネマ・ウォーズ』(2000年)と『フェイドTOブラック』(1980年)しか思い浮かばず、片方は他人に迷惑をかけるし、もう片方は人を殺しますんで、なんかね、どうもシネフィルという言葉にいいイメージがなかったの。実際にシネフィルを自称する人にも会ったことないしさ、どういう人たちなのかいまいちわからなくて。顔に書いてあるわけでもないし。「シネフィルって何? – Togetter」とか読んでいると、なんとなく嫌われているっぽい感じなのはわかるんだけど、「何?」ってタイトルにつくくらい、なんなのかわかんないものなのかなーって。
わたしは映画は娯楽だと思っているし、大衆芸術なので、時代によって求められるものが変わった結果、商業映画が増えたのもしかたないんじゃないかと思っているんですね。だから、本物の芸術である本物の映画こそが素晴らしいのだと言われると、しらけてしまう。それに、そこまで言うなら自分で撮ればいいじゃないのさ、とか思っちゃうんだよね。けれど秀二の場合、まあ確かにめんどうな人ではあるが、前述の2作とはまったく違うんだなって思います。ああ、この人は立派だと、立派なシネフィルだなあと思うんです。
シネフィルってめんどうくさい映画マニアじゃなくって、映画を愛している映画マニアなんだなって思ったんです。そりゃーめんどうくさい人もいるでしょうけれど、それってけっきょく個人の性質の問題だからね……。めんどくさいシネフィルはシネフィルじゃなくてもめんどくさい人だよ。秀二だって、ヤクザがひくくらいめんどくさい人だもの、この人、もし映画好きじゃなかったとしてもちょうめんどくさいはずだよ。たぶん恋愛してもめんどくさいと思うよ。
秀二は殴られながら自分の愛する映画のタイトルと公開日をぶつぶつつぶやくのね。映画のためであればその痛みも感じない。彼は金儲けのための映画を憎んでいるものの、映画を作り上映するにはお金が必要なこともわかっている。だから、映画のために自分を売るのです。「映画は売春じゃない」と彼は言います。彼がお金のために殴られることは、ある意味において売春であるけれども、魂は売り渡していない。映画のために身体は売るが、映画そのものは売り渡さない。魂の映画は、お金もうけのためのものではない。彼の魂は、映画と芸術のためのもの。
クライマックスで「シネフィルが選ぶオールタイムベスト100」が発表されるんですよ。これは盛り上がるよー! ともかく、「CUT」はほんと面白かったです。おすすめ。


