愛犬とごちそう
FEAST/監督:パトリック・オズボーン/2014年/アメリカ
フィクションが現実に影響を与えるか否か、超えてはならない一線とは何か。
※この記事は、2015年2月10日に書いた「「愛犬とごちそう」から、表現の自由について思ったことを書いてみたよ | 映画感想 * FRAGILE」を少し直したものです。
※ネタバレしています。注意書きはありません。
『ベイマックス』(2014年)同時上映の短編『愛犬とごちそう』について、『ベイマックス』の感想には一言だけ書いていました。これは、見た時の瞬間的な感想です。
今回、短編は酷かったと思います。動物にあんなことをしては絶対にいけません!!
ベイマックス/きみが作ったものを、ぼくは直せるから | 映画感想 * FRAGILE
この短編を見たときの私の気持ちをもう少し詳しく書くと「動物に人間の食べ物、しかもジャンクフードを与えたら、あっという間にブクブク太って死んでしまうよ! これ、子供が見たら真似するk……あれ? 私のこの考え方は、ちょっとマズい方向へ行きかけているから、今は考えるのやめよう」でした。
見終わったら、そもそも話がさっぱり面白くないのがよろしくないなあ、と、思いつつ『ベイマックス』が超面白かったので、忘れてたんですね。でもちょっとモヤモヤが残ってしまったので、考えたことを書き留めておこうと思いました。
「私のこの考え方は、ちょっとマズい方向へ行きかけている」というのは、「子供が真似するかもしれないから、よくない」というところに行き着きそうになったからです。
『愛犬とごちそう』に登場する犬は、『わんわん物語』(1955年)、『ボルト』(2008年)、『101匹わんちゃん』(1961年)などに登場する犬ほどには擬人化されていません。完全にペットとして扱われている。私はそこに引っかかり、「動物にあんなことをしては絶対にいけません!!」という感想を書きました。子供が『愛犬とごちそう』を見て、「あれはよくないよ」と思うのであれば、もちろん、その子の感想であるので、なんの問題もありません。
しかし、「子供に見せたら真似するかもしれないから、この短編の内容はけしからん」というところのみを切り取って考えてしまうと、表現は規制するべきである、という方へ向かっていく可能性がある。私がそこへ向かいそうになり、ギリギリで踏みとどまったのは、「私が抱いた不快感を『子供に対する悪影響』という言葉へ責任転嫁しているに過ぎないのではないか」と思ったからです。子供に限らず、大人でも同じですね。大人だから影響を受けない、なんてことはありませんから。
セス・ローゲンとジェームズ・フランコの『ザ・インタビュー』(2014年)の件も、表現の自由を奪おうとする力が働いてしまった。ケンカ売る相手がヤバすぎたとか、存命人物の暗殺というストーリーの倫理観については、攻めこみすぎたのかなあとは思います。だからといって、現実的な攻撃をするのが許されるわけでは当然、ありません。
『ザ・インタビュー』については以下引用を参照してください。10年前は結構騒がれたと思うのですが、10年経ったのでもうあんまり覚えていないんですよね……。引用元がWikipediaですみません。
『ザ・インタビュー』は、2014年のアメリカ合衆国のコメディ映画。『ジ・インタビュー』と記載される場合もある。日本では劇場未公開、DVDやブルーレイの発売予定なし、配信の予定も2021年時点ではない。
(略)
公開を巡る問題
朝鮮労働党第一書記・金正恩を揶揄する内容であることから、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)祖国平和統一委員会公式ウェブサイト「わが民族同士」は、2014年11月28日、「完全なる現実の歪曲とおかしな想像でつくられた謀略映画の上映は、尊厳高いわが共和国に対する極悪な挑発行為であり、正義の人民に対する耐え難い冒瀆」と非難するとともに、製作者側に対し「われわれの断固たる懲罰を受ける必要がある」と警告した。2014年12月25日の全米公開を皮切りに世界各国で公開される予定だったが、配給元であるソニー・ピクチャーズ エンタテインメント(SPE)に対して大規模なサイバー攻撃を行なったとされる集団が上映予定の劇場を脅迫したことから、SPEは同年12月17日にビデオ・オン・デマンドを含めた一切の公開を中止すると発表した。
ザ・インタビュー – Wikipedia
さまざまな表現の自由が奪われてしまったら、ディストピア化が進んでしまう。映画ならいいですよ、ディストピア映画、好きです。でも『華氏451』(1966年)みたいな世界はイヤでしょう。
私は、ゾーニングは必要であると思いますが、ショッキングな創作物を生活から遠ざけよう、見えないようにしよう、というのは、あまり好ましいことではないと思っています。フィクションである限り、過激な性描写も暴力描写も、あっていいと思います。そこから影響を受けて現実に行動を移してしまうことについては、受け手の問題です。超えてはならない一線は、フィクションと現実のはざまに居る人間の心の中にあるのではないでしょうか。
なんて、投げかけて終わりみたいな文章ですが、さきにも書いたとおり、私は「自分が感じた不快感などを、他人(子供)に悪影響がある、というふうに言って責任転嫁するのはよくない」ということが言いたいわけです。10年ぶりに自分の文章を読み返しましたが、今もこの考えは変わっていないと思います。


