教皇選挙/神に恥じぬ一票を

ミステリー
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教皇選挙

Conclave/監督:エドワード・ベルガー/2024年/アメリカ・イギリス合作

kino cinéma 新宿 THEATER1 E-13で鑑賞。第97回アカデミー賞で作品、主演男優、助演女優、脚色など計8部門でノミネートされ、脚色賞を受賞。大オチのネタバレを踏む前に、なるべく情報を入れないで観に行ってください。

あらすじ:コンクラーベです。

ネタバレしています。注意書きはありません。大オチのネタバレはありません。

ローマ教皇が亡くなったため、コンクラーベを執り行うことになります。システィーナ礼拝堂に集った100人以上の枢機卿を取りまとめ、選挙の進行を行うローレンス枢機卿(レイフ・ファインズ)は、水面下で行われる不正や差別やスキャンダルにほとほと困り果てていました。

直近で行われたコンクラーベは2013年でした。自分の理解を深めるためにも、いちおう、コンクラーベとはなんなのかを以下に引用して置いておきます。

選挙は以下の手順で進められます。

  1. 教皇選挙(コンクラーベ)は、前教皇の死去ないし退位により教皇空位が生じてから、丸15日が過ぎてから開催されます(第37条)。これは、教皇選挙権を有する枢機卿全員がローマに到着するのを待つためです。ただし、全枢機卿が揃った場合、枢機卿団は教皇選挙の開始をこれより早めることができます。また、重大な理由がある場合には15日から数日延ばすことができますが、20日を過ぎたら選挙手続きに入らなければなりません。この規定に従って定められた教皇選挙の開催日程に選挙権をもつ枢機卿が集まり、ミサをもって教皇選挙が始まります(第49条)。
  2. コンクラーベで教皇が選ばれるには、投票総数の3分の2以上の得票を得ることが必要です(第62条)。
  3. 投票は初日午後に1回行われ、この投票で決まらなければ続く2日に、午前・午後2回ずつ行うことができます(第63条)。
  4. 3日間の投票で決まらない場合は、最大1日の祈りの期間をおいてから、同じ手順で選挙をし、7回の投票をしても決まらなければまた1日おいて7回行います。それでも決まらない場合、また1日おいて7回行われます(第74条)。それでも決まらなければ、1日の祈り、考察、対話の期間をおいてから、前回の投票における上位2人の得票者について決選投票を行い、投票総数の3分の2以上の得票を得た人が選出されたこととなります。なお、この2人は決選投票には加わりません(第75条)。
  5. コンクラーベは教皇が選出され、被選出者が教皇となることを同意したときに終了します(第91条)。

コンクラーベ(Conclave、教皇選挙)とは? | カトリック中央協議会

映像が、どこを切り取っても絵画のように美しく、やや薄暗いシスティーナ礼拝堂の中のようすと、ラストシーンの中庭らしきところに日が差しているようすが対比となっているなと思いました。また、爆破によって穴の空いた礼拝堂に少し風が吹き込む感じも、あらたな時代の幕開けを感じさせて良かったです。ほんのそよ風であるけれど、確実に一歩進んでいるな、と。

リベラル派のベリーニ枢機卿(スタンリー・トゥッチ)とローレンス枢機卿は親友です。ベリーニ枢機卿は最初の投票の前に「メディアでは私が教皇になるのではと言われています」などと言い、ちょっと嬉しそうです。保守派のトランブレ枢機卿(ジョン・リスゴー)は何やらいろいろと隠し事が多く、初のアフリカ系教皇になるのか? と思わせるアデイエミ枢機卿(ルシアン・ムサマティ)を陥れようとしています。そこへ、誰もその存在を知らなかった、ベニテス枢機卿(カルロス・ディエス)がやってきて……と、まあまあ色々面倒くさいことが多く、ローレンス枢機卿が2時間の映画の中で5歳くらい老けてしまいました。心労で。

とにかく、教会にとって一番「いい人」を選びたい、でもみんなどこかしら問題を抱えていて決まらないわけです。叩いて埃の出ない人がいないというか。埃とまではいかなくても、性格的に向いていないというのもありますね。ローレンス枢機卿は完全にそれで、中間管理職みたいな位置にいるだけで老けてしまうくらいなので、トップはもっと難しいと思います。

結局誰が教皇になったのか、というところは、書いても驚きが伝わらないので書きません。選ばれた人は、教皇となることに同意を求められ、一度は返事をしませんでした。もう一度聞かれて受け入れるわけですが、この微妙な演出が非常にきめ細かいものだと感じました。選ばれた人は人間としてとても素晴らしく、でも他の人たちと同様に秘密があり、秘密を押し隠して教皇になることに対する迷いがあったのだと思います。だから一瞬ためらった。でも、新教皇の信仰心がとても純粋で尊敬に値するのは映画を観ていて見て取れるし、満場一致で選出だったとしても不思議ではありません。新教皇は自分の名前を「インノケンティウス」としました。これは英語字幕で「Innocent」となっていました。

私はこの映画は、普段当たり前だと思っていることに対して、なぜ当たり前なのか一度立ち止まって考える手助けとなる作品だと思いました。この人は枢機卿だから◯◯だろう、この人は修道女だから◯◯だろう、という思い込みもそうです。それらは今までの人生で刷り込まれたり、社会通念上「そういうもの」だから、と疑問を持たずにいたさまざまなもの、常識だと思い込んでいたものです。そういうものに対して向き合うことは、人生にとって無駄ではないと思います。おすすめです。

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