エレファント/その平凡な一日に

クライム
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エレファント

Elephant/監督:ガス・ヴァン・サント/2003年/アメリカ

U-NEXTで鑑賞。2011年に1度観ています。その時の感想はこちら。

前から気にはなっていましたが、パッケージがすごくいやでほったらかしていました。

コロンバイン高校の銃乱射事件をモチーフにしておるわけですね。事件が始まるまでの日を淡々と描いているんですが、わたしこれ何が面白いのか全然わからんのよ!

セリフなどをアドリブでやっているなどと特典でおっしゃっていましたが、うそでしょう? あのつくりだと、どのタイミングで何を言うかぜんぶきっちり決まっていないとできないんじゃないですか? それとも、同じシーンを違う主人公で撮っているところは、いろんな角度から俳優をおさえていたんでしょうか。

すごいリアリティが欠如しているわけです、でも、映画は全体的にリアリティのあるような雰囲気をまとった感じになっている。それが嫌だ。わたしがいいたいことわかってくれます?

で、アドリブのことにしても、ほんとうにアドリブであったとしても、そう見えないせいで、アドリブって嘘じゃないのか、と、なんかその、嘘じゃないの? っていう疑問、これすごい不快な疑問になるわけ、だましてるんじゃないの? そう思うと、もうぜーんぶうそくさくって、だまされるもんか、この雰囲気に流されるもんか! って思ってしまった。わたしこれほんとわかんなかったです。パッケージから感じたいやあな感じと、内容が一致していたきもちです。

ぼろくそ書いていますね。あれから14年。私の、この映画に対する感想は変わるのでしょうか。

あらすじ:銃乱射事件の一日。

ネタバレしています。注意書きはありません。

父親が飲酒運転をしていることに気づいたジョンは、車の鍵を学校に預けて、兄弟が迎えに来るのを待っていました。

自分の理解を超えた事件が起きたとき、犯人は頭がおかしかったから、犯人は精神的な疾患を抱えていたから、「自分とは違う人間なのだ」と、だから理解はできないし、病院へ行ったほうがいい、でも人を殺したのなら無罪放免にせず極刑にせよなどと結論付けて、犯人の中にある、自分と同じかもしれない感情や憤りに蓋をしていることがあるのではないかと思う時があります。たとえば先日起きた「誰でも良かった」から小学生の列に車で突っ込んだ事件の犯人が持っていたらしい「強い殺意」を理解は出来ないけれど、「何もかも嫌になった」という気持ちは多少理解できるのです。加害欲求に結びつかないだけで、私だって何もかも嫌になることくらいあります。

もちろんこうしたときに加害者の気持ちに寄り添いすぎることは倫理的な問題に発展するような気もします。このあたりのバランスはとても難しく、結局、犯した罪の重さで犯人を裁くことが必要です。私が言っているのは、加害者に対して甘くせよ、加害者を気持ちを尊重せよというわけではありません。「ここまでは理解できる、そこから先は貴方の問題だ」と切り離すことが必要かもしれません、という話です。

登場人物の心情が事細かに描かれる作品ではないように思います。人の背中を割と長い間映しており、ずっと一定の距離があるようにも思います。加害者のことも、被害者のことも、過剰には描かないのかなと。シャワールームでのキスシーンについては、急に登場人物と観客の距離を縮めた感じもしました。

撮影方法などについては、過去の感想はずいぶん懐疑的だなあと自分でも驚きました。うそって決めつけてるし、愚かだよね。映画の撮り方なんて知らないくせに。これについては本当にごめんなさい。14年前に書いたとはいえ、たしかに私が書いたものだから……。

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