アリスのままで
Still Alice/監督:リチャード・グラツァー、ワッシュ・ウェストモアランド/2014年/アメリカ
この記事は2015年に書いたアリスのままで/さようなら、わたしのすべて | 映画感想 * FRAGILEを修正し転載したものです。
新宿ピカデリー シアター3 D-15で鑑賞。原作未読です。
『アリスのままで』見た、信者としては、以前見かけた「ファンは見ない方がいいかも」というツイートにビクビクしつつ見届けねばならぬと行ったところ、あまりのつらさに見事撃沈。難病ものは映画のネタとして流行ったというかよく流行る?ので安易と感じてしまうところだがそこはジュリアン・ムーア様
— ナイトウミノワ (@minowa_) June 30, 2015
本当につらいので、誰にでもオススメ! とは言いづらいですがオススメです。
あらすじ:若年性アルツハイマーになりました。
言語学者のアリス(ジュリアン・ムーア)は、夫(アレック・ボールドウィン)と、すでに成人した3人の子供を持ち、幸せに暮らしていましたが、突然調子が悪くなりました。
※ネタバレしています。
『アリスのままで』アルツハイマー症の画家が描いたこの有名な絵、ジュリアン・ムーア様は完全にこういう流れなので本当に見ていてつらい。家族に関してはネタバレになるのでブログで書きます。 pic.twitter.com/mxFLWa8zz7
— ナイトウミノワ (@minowa_) 2015, 6月 30
ざっくりしたあらすじは、いっそこの一連の絵で事足りるのではないかと思いました。
『アリスのままで』難病もの、「家族」「感動」「絆」系の宣伝、ではわたしは見ないタイプのものだけど、ジュリアン・ムーア様だからねーって、思いつつ、色々覚悟して見たら、満面の笑みでジュリアン・ムーア様が後頭部をオスカー像でブン殴ってきたから困った。
— ナイトウミノワ (@minowa_) June 30, 2015
宣伝が悪いのではないです。こういう売り方しか無理ですからね。やや出尽くした感があるテーマにジュリアン・ムーア様が挑むということは、脚本がよほど魅力的だったのだろうなとか、思うわけです。そして、家族との感動の絆と愛が美しいという話でもないのだよね。あとで書くよ。
『アリスのままで』ジュリアン・ムーア様はわりと大袈裟で感情的で脱ぐかみっともない姿を晒す美人というイメージで好きなのだが(『マップ・トゥ・ザ・スターズ』の放屁!)、取り乱すシーンはあれども基本的には病状が「静かに」「早く」進むので、カットが変わると一目で進行しているのがわかって…
— ナイトウミノワ (@minowa_) June 30, 2015
ストーリーの流れを最初に引用した画家の絵で説明すると、右上(3枚目)から左下(4枚目)への移り変わりが、ものすごくあっという間で激しくて。2枚目で最初のビデオレター、3枚目あたりでスピーチシーンだと思っていただいて。4枚目あたりはほんとうに、見ているのがしんどいです。ここまで、出来なくなってしまうのかと。言語を専門職にしていた人が、徐々に単語を失い、主語をも失っていってしまう。彼女にとって言葉を失うことはアイデンティティの崩壊に直結するのです。5枚目、アリスはその場にいるけれども、メインが彼女からやや外れて、家族の話になります。基本的に「アリスがいない場所で、家族がなにかをする」というシーンはありません。
夫はアリスの変化をもっとも身近で体験する人物であり、また、医療関係者という職業柄、アルツハイマー症に対する理解もあります。ただそれは、病気に対する理解度であって、実際に患者と生活するとなると、話は変わってくるんですね。働き盛りの今、妻の介護をするために仕事を辞めたり休暇をとったりするわけにはいかない。夫婦の生活がかかっているしね。そこで彼が出した提案はアリスに却下され、また、アリスの願いを叶えることもないのです。アリスにとっては最後だが、彼個人としての人生はまだまだ続く、立ち止まっているわけにはいかないし、アリスに言われた一言も事実なのでしょう。聡明だった妻から知性の光が消え失せていく様子を目の当たりにし続けるのには耐えられない。それを「愛がない」と責めることはできないと思います。
しかし5枚目のシーンで彼がアリスの思いを代弁するときは、その場にいる家族たちにとって都合のいいように話していると思えます。アリスは発症してから他人と関われないつらさについては言いますが、他人に迷惑をかけたくないとは言っていないはずです。彼が嘘をついているというわけではなく、そうであってほしい、と思いたい気持ちが出たのでしょう。
次女リディア(クリスティン・スチュワート)は他の家族から離れて暮らしており、母親や長女との関係はあまりよくありません。彼女にとってアリスは「口うるさく娘をコントロールしようとする母親」であり、発症してすぐは「病気を理由に自分の要求を通そうとする人」です。しかし、アリスがマイナスの感情をそのままぶつけたり、また逆に、アリスがなんとかして良好な関係を築こうと努力できる相手はリディアだけのようにも見えるのです。そして、離れて生活していながらアリスの病状をかなり把握しているんです。「誰もいないのに紅茶入れているの?」とSkypeで聞くシーンはそれが顕著に表れているなと思います。
リディアはアリスの病状の、とくに「感情が悪い方へ激しく動く」部分を見ています。受け入れているかはともかくとしてね。今までもうんざりな母親だったし、病気になったらもっとうんざりで面倒くさいが、見捨てることはできなくて。話は少し前後しますが、きょうだいの中では、一番遠くに住んでいるリディアだけが、病状の進行したアリスと連絡を取り合っているんですね。スピーチ原稿へのアドバイスをするシーンはとてもよくて、リディアは「母親が、自分自身について、どこに自信や誇りを持っているのか、なにを失いたくないのか」を知っているため、意見を出す時に少し迷いを見せるんです。それは今までの母娘関係があった上で知り得たのでしょう。切ないなと思うのが、リディアはスピーチを聞いていないことです。Skypeでのやりとりはリディアとアリスのみしか知らず、今はもう、リディアの心の中にしか存在しません。
リディアはおそらく、自分が家族の中で落ちこぼれているのを嫌というほどわかっている、わからされてきた、とも言えます。それでも自分には夢がある。やりたいことがあるのだから、好きにさせてほしい。それにしても、「頑張ってるのはわかるが大根芝居だな」と見える演技を出来てしまうクリスティン・スチュワートはすごいですね。
長男トム(ハンター・パリッシュ)は、ほぼ空気です。付き合っている子を連れて来たり、イベントごとにちょっと顔を出したりする程度です。「あのスピーチ、よかったし」などと言うのを見る限り、彼にとって母親の病気は現実味があまりありません。あの場でスピーチについて話すのは、彼にとってアリスは「たまに会うと、ちょっとずつ病気が進行している母」であって、家族会議が行われるほど深刻な状態になっているという認識が薄いように思えます。当然のように、彼は母親の介護をする気など、毛頭ありません。
長女アナ(ケイト・ボスワース)は結婚しており、アリスとの関係は良好です。ふたりでアプリのゲームをやっている。ずっと日課だったのでしょう。しかしアナは、アリスから少しずつ離れていきます。その理由はすべて、仕方がないと思うんです。彼女は子供を作ることに対して大いに悩んだだろうし、妊娠して大変なときにゲームやっている場合じゃないし、やってはいたがアリスが忘れているかもしれない。彼女は自分が受け継いでしまったものについて悩みもしただろう、それでも生む決意をした子供がいるわけで、アリス自身が悪いわけではないから母親を責めることはできないが、複雑な思いはもちろんあります。
子育てと仕事と介護を一手に引き受けることは出来ません。あまりにも重荷すぎる。いくら彼女の夫が支えたとしても、無理でしょう。子供を産んですぐに仕事復帰すると言っているあたり、彼女は自分の仕事に思い入れなどがあるのだろうし、自分と夫と子供、という「自分の家族」を大切にしたいのでしょう。母親への愛憎と病気への戸惑いが、ときおり彼女の表情にうっすら表れます。それは嫌悪感にも近い何かであったりします。病気のことを知って真っ先に涙を流した彼女でしたが、たぶん、あの一本の電話からアナの気持ちは大きく変化したのでしょうし、それは仕方のないことです。
自分の人生を好きに生きたいと願う、その「人間として当然な感情」が、アリスの発症をきっかけとして、見事なまでに家族らの「エゴ」として浮かび上がってきてしまう。これは家族の物語ではあるが、みんなで仲良く協力し合って病気のお母さんを助けましょう、という、観客にとって美しく心地よい物語として「感動」できないところへ収まる形で打ちのめされるラストが待っております、おすすめです、覚悟してお臨みください。


