ミケランジェロの暗号/ナチスとユダヤ人の友情と、消えた1枚の絵

ミステリー
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ミケランジェロの暗号

Mein bester Feind/My Best Enemy/監督:ウォルフガング・ムルンベルガー/2010年/オーストリア

この記事は2011年に書いたミケランジェロの暗号/ナチスとユダヤ人の友情と、消えた1枚の絵 | 映画感想 * FRAGILEを修正し転載したものです。

ミケランジェロの暗号』を見ました。原題は『Mein bester Feind』、英題は『My Best Enemy』。直訳すれば「我が最良の敵」という意味です。これはね、邦題が本当によくない! こんな邦題だと『ダ・ヴィンチ・コード』のぱちもんみたいに思えちゃうじゃないですか? この映画、ミケランジェロの絵は出てきますけれども、絵に隠された謎を解くとかそういう話じゃないのよ。暗号とか別にないの。サスペンスですけれど、どっちかっていうとコメディなんじゃないのかと、すごいハラハラもするが、笑えるところのほうが多いように思います。おもしろかったです。おすすめ。配信はありません(2026年1月12日時点)。

あらすじ:ナチスもユダヤ人も困り果てます。

ユダヤ人で画廊の息子、ヴィクトル・カウフマン。演じているのはモーリッツ・ブライプトロイ。『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』(1997年)、『ラン・ローラ・ラン』(1998年)、『es(エス)』(2001年)、『ミュンヘン』(2005年)などに出ています。カウフマン家には、ムッソリーニも欲しがる国宝級のミケランジェロの絵がありました。ヴィクトルは、親友のオーストリア人、ルディ・スメカル(ゲオルク・フリードリヒ)に、酔った勢いで絵の隠し場所を教えてしまいます。うちに25年も仕えてくれた使用人の息子だから、家族同然だから、信用しきっているから。あと、酔ってるから。べろんべろんでいい気分だから。

※おおまかなストーリーは中盤までネタバレしています。後半とオチのネタバレはありません。

そうしたら。ルディは実はナチスに傾倒していて、親衛隊に入ってしまいます。え? 友達だと思っていたのに。家族同然だったのに。ヒゲを剃って制服も着ている。なによ、それ。ほどなくして、ヴィクトルとその両親のもとへ親衛隊がやってきます。親衛隊が「ミケランジェロの絵を隠していると聞いた。総統がご所望なのだ、出せ」と命令します。ところが肝心の絵がない。隠し場所にない。どこへ行ったのか誰も知らない。焦った親衛隊は、「総統がお怒りになる! 一週間以内に見つけろ! さもなくば殺す!」と大騒ぎ。さて、ミケランジェロの絵は一体どこにあるのでしょうか?

ヒットラーはムッソリーニの訪独に合わせてミケランジェロの絵を手に入れたいと考えています。ムッソリーニのご機嫌を取りたいからです。親衛隊にとってヒットラーの命令はもちろん絶対。でも、もし絵が見つからなかった場合の責任は取りたくない。だから下の者に押し付け合ったり責任転嫁を始めてしまう。ユダヤ人はナチの命令に逆らえない立場にある。にもかかわらず、ユダヤ人であるヴィクトルだけがムッソリーニを満足させられる「切り札」を持っているらしいという状況になる。この三すくみの構造が面白いんですよね。

絵さえあれば、ほぼ丸く収まるんです。ヴィクトル自身は殺されてしまうかもしれませんが、彼はその絵と引き換えに、母親をスイスへ移送してほしいと取引を持ちかけています。絵が手に入れば、母親は収容所を出られる。親衛隊はヒットラーに褒められる。ヒットラーはムッソリーニの機嫌を取れる。そんなふうに、全員の思惑が一枚の絵に集約されていくわけです。

そんな中、なんとヴィクトルとルディが入れ替わってしまいます。心が入れ替わるという話ではなく、服を取り替えて、そのままなりきってしまうという展開です。ルディは親衛隊に向かって「俺がルディだ、こいつは偽者だ、信じてくれ!」と必死に訴えるのですが、ユダヤ人の服装をしているうえにヴィクトルのほうが堂々としているものだから、まったく相手にされない。しかも、もともといた場所から離れてしまったせいでルディの顔を知っている親衛隊員もいないのです。

何かにつけてヴィクトルの正体がばれそうになるのですが、すんでのところで毎回ばれずに済む。もうねハラハラしますよね。ヴィクトルがだんだんナチの制服に慣れていって「お前がこの制服を着たがるのもわかるわ、ルディ」なんて言い出す。これがすごいなと思って。映画の中とはいえ、迫害されてきたユダヤ人がナチの制服を着て「ナチの気持ちもわかるわ~」と言ってしまうんですよ。制服を着ている、ただそれだけで人から信用されてしまう、その仕組み自体をおもしろく描いているわけです。

ヴィクトルはこれまで、飛行機に乗るたびに何度も身体検査を受けさせられたり、子供が画廊のガラスに落書きしたり、財産を没収されたりしてきたんです。ただユダヤ人だというだけで。それが、自分は自分のままなのに、ナチの制服を着ているだけで周囲からの扱いがまるで変わってしまう。

このあたり、さきに書いたモーリッツ・ブライプトロイ主演の『es(エス)』にも少し似たものを感じました。人は与えられた役割によって行動が変化するという話です。『ミケランジェロの暗号』は『es』ほどシリアスではないし、ヴィクトルもルディも、入れ替わった役割に完全になりきってしまうわけではないのですが、それでもどこか通じるものがあります。自分が自分であることを証明するものがなく、服装と、その服を着ている者に与えられた役割にだけ「自分」が委ねられているという。

ルディは、ヴィクトルと家族になりたかったのです。でも、それは叶わなかった。ヴィクトルとのあいだに、ずっと埋まらない溝を感じてきた。だからこそ、彼が持っているものを欲しがったのだと思います。財産も、彼女も、すべてを奪いたかった。ナチスに入ることで「俺のほうがお前より偉いんだ」「お前の人生なんか、どうにでもできる」と、優位に立とうとした。そして「俺の言うとおりにすれば、お前だけは助けてやらんでもない」と言える立場になろうとした。ナチスという後ろ盾があれば、それが可能だと信じていたのでしょう。なんたる歪んだ愛情であることか。

ところがヴィクトルと立場が入れ替わってしまって「ちくしょう! こんなはずじゃなかったのに! くそユダ公めぶっころしてやる!」と、ルディはどんどん煮詰まっていきます。本当は親衛隊なのに収容所暮らしを強いられるわけですから、そりゃ心もすさみますよ。

これは、ミケランジェロの絵によって友情を引き裂かれてしまった男たちの物語です。たった1枚の絵のために命を賭けざるを得なかった。大きな権力に逆らえなかった。結局、解り合えなかった。そう思うと、とても切ない。ただ、映画全体の印象はというと、愉快で、痛快で、どこか滑稽でもある。タイトルや予告から受ける印象とは、ずいぶん違います。こういうとき「思っていたのと違うからつまらない」と感じる人もいるのかもしれませんが、でもこの映画は、思っていたのと違ったとしてもちゃんとおもしろい。サスペンス部分の緊張と緩和のバランスもよく、終盤には「よし、早く気付け、がんばれ!」と応援したくなる。そんなふうに、最後まで楽しく観られる映画でした。

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