マーターズ
Martyrs/監督:パスカル・ロジェ/2008年/フランス・カナダ合作
試写鑑賞。公開は2026年8月14日です。昔一度観ています。そのときは事情があってフランス語音声・英語字幕で観たため、起きていることの絵面はわかっても、「なぜ」「何が」起きているのかは、まったくわからないままでした。それから十数年が経ち、ラストシーンだけを覚えている状態で、今回の4Kレストア版鑑賞です。
あらすじ:15年前の復讐をします。
※ネタバレしています。
監禁・虐待されていたリュシーは自力でその場を逃れ、15年後に復讐のため、ある家族が住んでいる屋敷にやってきます。
『マーターズ』への個人的な印象としては、観た人がみんな「ヤバい」と言うけれど、「何が」ヤバいのか、「どう」ヤバいのか、オチが何を意味しているのかは誰も教えてくれない映画でした。もちろん、内容を話したら台無しになるからでしょう。私は長いあいだ、何が起きるのかわからないまま「とにかくヤバい映画」として記憶していました。
実際に観直してみると、中盤までに室内で起きる殺し合いも、かなりきつい出来事の連続です。しかし、後半にたっぷり時間をかけて描かれる「殉教」への過程は、その暴力性と一切の救いのなさでやってきます。体格のよい男性からアンナが殴られる場面が何度も出てきます。暴力映画に慣れてしまった私からすると、一回ごとの絵面は、それほど激しいものではありません。もっと血が出る映画も、もっと人体が壊れる映画もあります。
ただ、繰り返される。執拗に繰り返される。
食事を与えられ、身体を洗われ、また殴られる。アンナが何を言っても、どのような反応を見せても、男のすることは変わりません。怒っているわけでも、楽しんでいるわけでもない。ただ決められた作業として、彼女を殴り続けます。そこに感情が見えないことが、かえって恐ろしいのです。アンナを殴る男が、見るからに異常な人物として描かれていたなら、まだ「この人間が狂っている」という話にできます。しかし、彼は指示された仕事を淡々とこなしているように見えます。アンナを「世話」する人たちにとっては、殴ることも、食事を運ぶことも、身体を洗うことも、おそらく同じ工程なのでしょう。この映画に出てくる人びとは、狂乱の中で人を傷つけているのではありません。自分たちの目的を理解し、そのために必要なこととして暴力を選んでいます。
彼らが求めているのは、死の直前に人間が見るものです。耐えがたい苦痛によって身体と意識の境界を越えさせ、その先に何があるのかを聞き出そうとする。自分たちで死ぬのではなく、ほかの人間をそこまで追い込んで答えだけを得ようとしているのだから、ずいぶん都合のよい探究です。彼らはアンナたちを「犠牲者」ではなく、「殉教者」と呼びます。言葉を置き換えることで、自分たちがしていることに意味を与えているのでしょう。誰かを監禁し、殴り、身体を破壊しているという事実は変わらないのに、そこへ「殉教」という名前をつければ、崇高な目的のための行為であるかのように扱える。けれど、殉教者になることを選んだのはアンナではありません。
そしてアンナは、彼らが待ち望んでいた何かを見ます。彼女がマドモアゼルに何を伝えたのか、観客には聞かせてもらえません。マドモアゼルはその内容を独占したまま、「疑い続けなさい」と言い残して自死します。アンナの言葉によって死後の世界があると確信したから、急いでそこへ向かったのか。反対に、何もないと知らされ、これまでしてきたことに耐えられなくなったのか。それとも、ほかの誰にも教えたくないほどの何かを聞いたのか。答えはありません。
十数年前に観たとき、内容をほとんど理解できなかった私にも、あのラストだけは残りました。今回、日本語字幕で観直しても、結局いちばん重要な言葉は聞かせてもらえませんでした。前より多くのことがわかるようになったのに、最後にはまた、「とにかくヤバい映画」という印象を残していきました。


