バグダッド・メッシ 片足のサッカー少年
ميسي بغداد/Baghdad Messi/監督:サヒム・オマール・カリファ/2023年/イラク、ベルギー、オランダ合作/© A Team Productions | Column Film | 10.80 Films | Macgyver
試写鑑賞。2026年8月7日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー。
あらすじ:爆撃で脚を失います。
※ネタバレはありません。
2009年、イラクの首都バグダッド。11歳の少年ハムディは、仲間たちとサッカーをして遊んでいました。
この作品は、いわゆる「映画的」な激しい出来事や、映像映えするような場面が続くものではありません。
ハムディは自分の片脚が失われたことを知ったとき、言いようのない怒りと失望をあらわにします。しかし、その後の彼が慟哭したり、誰かに激しく感情をぶつけたりすることはほとんどありません。片脚を失ったという事実はもちろん消えないのですが、それを強く訴えるのではなく、ただハムディが、以前とはまったく違ってしまった日常の中に居ることを表しています。
先日おこなわれていたサッカーワールドカップに、私は1ミリも興味がありませんでした。サッカーが何人でプレイするスポーツなのかも知りません。それでもメッシの顔くらいはわかる。それだけ遠くまで名前が届き、子どもの夢になるような人物なのだと思います。
イラクの子どもたちは、メッシの何に憧れているのでしょうか。華やかな場所で活躍する姿なのか、ボールひとつで世界の中心に立つことなのか。イラクの子どもたちがメッシを知っていても、当然ながらメッシは子どもたちひとりひとりのことを知りません。その一方通行の関係が、なぜか寂しく感じられました。メッシはあまりにも遠くにいて、ハムディの暮らす場所では、サッカーを続けることさえ簡単ではないからです。
ハムディたち一家は、父親がアメリカの民間警備会社ユニティの通訳として働いていたため、周囲の人々から蔑まれ、憎まれ、ついには家へ火を放たれます。父親は家族を養うために働いていただけです。それでも、どちらの側についたのかを問われるような状況では、彼らの事情はまったく通用しません。
辺境の村へ移った一家は、ただ、生きるために必死です。父親も母親も疲れ切っており、どこか厭世的に見えました。ハムディを愛していないわけではありません。それでも、サッカーをしたいと願うハムディとは、魂が噛み合っていないように見えてしまいます。両親にとって、まず必要なのは家族が生き延びることです。しかし、11歳の子どもには、生きる意味も必要でした。ハムディにとってのサッカーは、失った脚を乗り越えるための目標というだけではありません。何もかも変わってしまった世界で、自分がまだ自分であるために必要なものだったのだと思います。
この家族の間にある隔たりに原因があるとすれば、いえ、隔たりの原因は、戦争なのでしょう。家を奪い、身体を奪い、仕事をする理由まで疑われる。それだけでなく、家族同士がお互いを思いやっていても、気持ちを同じ方向へ向けられなくなっていきます。あったはずの穏やかな日々を想像することもできないかもしれません。
後味がすっきりする映画ではありません。ハムディが努力によってすべてを取り戻す物語でもありません。戦争の中で失われるものは命や家だけではなく、子どもが夢を見る時間や、家族が同じ未来を考える余裕でもある。そのことを知るために、いま観ておくべき映画なのかもしれません。


