平行と垂直
監督:小林聖太郎/2026年/日本
試写鑑賞。公開は2026年8月28日です。
あらすじ:自閉スペクトラム症の兄がいます。
※ネタバレはありません。
自閉スペクトラム症の兄・大貴(安田章大)を幼い頃から支えてきた希(のん)は、結婚を前に、兄とのこれまでの生活と自分自身の未来に向き合うことになります。
大貴の周囲にいる人たちは、彼のことを理解しているような顔をしています。しかし、実際には自分たちにとって扱いやすい存在としてしか見ていないのではないかと思う場面が何度もありました。障がいについて分かっているふうのことを言いながら、口先だけであることがすぐに分かる人たちが出てきます。そして出ました、「差別とかそういう意味じゃない」という言葉。そう前置きすれば、このあと何を言っても差別にはならないと思っているのでしょうか。
大貴は真面目に働き、独自の規則を守りながら生活しています。ほとんど会話をせず、表情も大きくは変わりません。それでも勤勉に働いているあいだは、周囲から“問題のない障がい者”として受け入れられているように見えました。希以外の人たちが大貴に向ける態度は間違っているように思えました。親切そうに話しかけることも、障がいについて知っているように振る舞うことも、大貴本人を見ていることにはならないのです。
希は長いあいだ大貴の生活を支えてきました。ただ、甲斐甲斐しく世話をしているというより、自分がそうしなければならないから、そうしてきたように見えます。母を早くに亡くし、父も頼ることのできる存在ではなかった。希には「妹だから」というだけで、大貴を支える役割が与えられてしまったのではないでしょうか。
結婚を控えた希は、大貴に「お願いだから私の人生を邪魔しないで」と言います。それは、言ってはいけない一言だったかもしれません。それでも、希を責めることもできませんでした。彼女は大貴を見捨てようとしているのではなく、自分の人生を持とうとしているだけです。兄を支えることと、自分の人生を生きること。その両方を、妹ひとりに背負わせてきた状況のほうに問題があるように思います。
大貴にどう接すれば正解なのか。本作は、分かりやすい答えを示す映画ではありません。ただ少なくとも、障がいを理解しているつもりになることと、目の前にいるひとりの人間を見ることは、まったく別のことなのだと思いました。


