パーティで女の子に話しかけるには
How to Talk to Girls at Parties/監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル/2017年/アメリカ、イギリス
この記事は2017年に書いたパーティで女の子に話しかけるには/君はどこかの、茶色い星からやってきた | 映画感想 * FRAGILEに加筆修正し転載したものです。
新宿ピカデリー シアター6 E-13で鑑賞。タイトルやポスター(予告では若干明らかにされているけど)から受ける印象と全然違います。
あらすじ:エイリアンと恋に落ちます。
※ネタバレしています。注意書きはありません。
『パーティで女の子に話しかけるには』内気なパンク好きの男の子が同級生のカッコいい女の子に好かれようとして仲間に助けられたりしながら成長する物語だと思って見たら、完全にSF映画でえらいことビックリしました。私は陳腐だ……
— ナイトウミノワ (@minowa_) December 12, 2017
『シング・ストリート 未来へのうた』(2015年)みたいな映画なのかなーと思っていたら全くそんなことはなく、全くは言いすぎかもしれないがとにかくSF映画だったのでたいへん驚いた。この驚きを隠しきれず伏せぬままツイッターに書いてしまうあたりが私は勝手でした、すみません。
『パーティで女の子に話しかけるには』「女の子(或いは他人全般)って、男の子(つまりは自分)から見たらエイリアンみたいだよねー」を、まじエイリアンで描いてて、すごいラリってるし、なんだこれは!見るといいと思います。
— ナイトウミノワ (@minowa_) December 12, 2017
見たことのないロゴの映画会社があるなと思って見ていたら映画が始まっておりこれも驚いたところ。細かなところにメタファーが散りばめられておりそれをひとつずつ紐解いていくのも面白いのだろうなと思う。私はけっこう圧倒されてしまって、ジョン・キャメロン・ミッチェルの思惑とは?というところまで行けていない。私は少年ではないし少年だったこともない、ひと目で恋に落ちるということもないので、主人公に自分を重ねるような見方も出来てはいない。それはそれで「ある視点」ということで許されるのではないかなと思っている。感情移入だけが素晴らしいものではないから。
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(2002年)で描かれた、自分の片割れを探す旅は、15年の時を経て、あの頃とは全く違うアプローチによって提出されている。
『パーティで女の子に話しかけるには』どなたかから『トミー』っぽいよって言われてて、まじかー好きなやつーと思って見たら、たしかに『トミー』っぽさあった。
— ナイトウミノワ (@minowa_) December 12, 2017
『トミー』(1975年)はイギリスのロック・オペラで、途中カルト集団が出てくるため、私に「似ている」と教えてくれた人が引き合いに出したのだと思う。年代も近いしね。
遠い星から来た彼女は、少年に愛をささやきながらも「遠い何処かの星へ」去っていく。時を超え、彼が「あの頃の思い出」を昇華したとき、彼女の思いが彼の元へ戻ってくる。確かにそこには愛があったのだという証拠のようなものが。このラストはとても良くて、寄り添い生きていくだけが愛ではないのだなと思わせる。果たして彼らの再会はあるのだろうか、ないのかもしれないが、それもまた良いなと、悲恋で終わりそうなところをそうしなかった優しさのようなものも感じるのだった。


