あぜ道のダンディ
監督:石井裕也/2011年/日本
こちらの記事は、2011年に書いたあぜ道のダンディ/わたしの大好きな「お父ちゃん映画」だが…。 | 映画感想 * FRAGILEを加筆修正して転載したものです。
あらすじ:妻に先立たれた冴えない男、宮田淳一(光石研)。50歳。トラック運転手。
※ネタバレしています。注意書きはありません。
大学入学直前の息子(森岡龍)と娘(吉永淳)を男手ひとつで育てているが、会話もなくわかりあえない。ある日、宮田は自分がガンになったと思い……。
最近、どんな映画でもいいところを探そうとしたり、見ているときはいまいちだなあと思ってもあとで考えているといいところが見つかってきたりしていたんですが、ちょっとこの映画に関してはいいところがいっこも見つかりません。不愉快でした。もうね、どこがいいのか、いいと思う人にいいところを語ってほしい。嫌味で言っているわけではないんです、自分と違う意見が知りたいんですよ……と思って公式ツイッター見てみたら、結構絶賛している人多いのね。そっかあ、あれで泣いたり笑ったりできるのか……。えええ、見ず知らずの少女を「メスブタ」って罵るシーンで笑えるのか、そうなの。私、あのシーンで耐えられなくなって見るのやめようとしたんだけど……。
職場の同僚は(藤原竜也)。私は藤原竜也がけっこう好きで、あの、暑っ苦しいじゃないですか、演技が。だから見ててうわーうざーってなるんですけど、それが癖になるというかですね。で、この映画、藤原竜也はほぼ出てきません。
宮田の友達は真田(田口トモロヲ)。宮田いわく「唯一の友達」だそうなんですが、宮田は彼に対してめちゃめちゃ怒るんですね。すごいひどいこと言ったりする、で真田が「それはひどいんじゃないのか」って言うとすぐ「ごめん」、でもまたすぐひどいこと言う。怒鳴るんですよ。怒ってばっかりなの。この二人の関係がね、どう見ても宮田のほうが力が強い、友達というより主人と奴隷に見えるんですよ。真田は完全にパシリでストレスのはけ口なんです。
そして息子はゲームに夢中、娘はプリクラに夢中。娘の友達は援助交際をしています。ゲームとプリクラと援助交際という若者像が一昔前のものすぎて、時代設定が一瞬わかんなかったです。15年くらい前なのかと思いました。でもゲームはPSPの鉄拳だったんで、今なんですよね……。
宮田は娘に「プリクラってなんだ、機械か? 機械なんかに夢中になるんじゃない!」って怒鳴ります。息子には「オレが中卒だからってなめんなよ!」と怒鳴ります。情緒に問題があるのかと思いますよね。とにかく、つつきだしたらキリがないほど細部のリアリティが欠如しています。この人たちは、物語の筋を追うためとキャラクター設定のためだけに話すんです。そして全員がほぼ常に怒っている。一番怒っているのは主人公で、とにかく口が悪いんです。
息子が「(お父さんに金銭的な負担をかけないために)オレもバイトして金ためるから」と言ったときに「ふざけるな!」と怒鳴るのは、親として見栄を張りたいからだとか、子供に金の心配なんかさせて情けなくてつい、とかだと思うんです。ここはせりふを違うものにして演出も変えれば意図がわかりそうなのに、ただ突然どなるので、なんだこのオッサンいいかげんにしろよと思ってしまう。
あのね、この主人公は頑固オヤジってことかなあって、まあそうなんだろうなって思うんですけど、頑固オヤジといえば『グラン・トリノ』のクリント・イーストウッドとかさあ、いっつも怒ってましたけどかわいかったじゃないですか? ああいう、どこか愛せるところがないと感情移入はできない。感情移入のできないキャラクターでも、人間として血が通っていればわくわくしながら観ていられる。でも、どっちもないんじゃもうダメですよ。レザーフェイスさんにすら備わっていた最低限の人間らしさすらないんですから。
宮田がいっつも怒っているように見えるのは、たぶん、いろいろな感情がすべて「怒りと区別のつかない感情表現」であらわされているからだと思うんです。たとえば、唯一の友人である真田にだけは弱みを見せられる、愚痴を言える、その「弱み」「愚痴」が「怒り」と同じ表現になっている。「照れ」も「焦り」も「混乱」も「緊張」も、すべてが「怒り」と同じ表現方法なんです。だからね、ホントは怒ってないんだと思うんです。でもまったく伝わらない。これはねえ、「照れ隠しでつい怒る」というのとは違うんですよ。そこまでの厚みもないんですよ。
また、「男は◯◯である」「親は◯◯である」という主張を暴力的なまでに押し付けてくるんですね。で、それもセリフでぐいぐい押してくる。あのー、テーマをしゃべればそれで伝わるわけじゃあないですよね。
「俺はせめてダンディでありたいと思ってる」って主人公は言うんです。この人にはダンディさのかけらもないんですけど、田口トモロヲは「お前はダンディだよ!」って、え? あれ、そう……。唯一の親友に向かって「死ね!」と言ったり、まったく知らない女の子に向かって「このメスブタ!」と言ったりする人がダンディですか? わたしの考えるダンディと、この映画を作った人の考えるダンディが違うにしてもですね、こんな人のことはとうてい愛せない、ただ不快でしかないです。あまりのことに役者がかわいそうになってきました。こんなひどいことばっかり言わされて、よくわかんねえダンスとかさせられてさ……。
主人公が不快な人物でも、それが物語と関係があり物語を活かせる不快さならばよいんです。『グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー』も『ラリー・フリント』も、非常に不快な人物ですが映画自体は良かった。登場人物が不快だから映画も不快ということではなかったんです。この2本は実在の人物を元にしているのでちょっと趣は違うかもしれませんが……。
パンフレットに監督が「ぼくがなりたい理想の姿が宮田」と書いてらしてですね、え、本気ですか、こんなに怒ってばっかりの、不愉快な人になりたいとほんとうに思っていらっしゃるのなら、ちょっと人との関わり方について考え直したほうがいいんじゃないですか、と思いました。


