ラリー・フリント/猥褻物か、表現の自由か。

伝記映画
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ラリー・フリント

THE PEOPLE VS. LARRY FLYNT/監督:ミロス・フォアマン/1996年/アメリカ

この記事は2011年に書いたラリー・フリント/ポルノ雑誌「ハスラー」を作った男の物語 | 映画感想 * FRAGILEを修正し転載したものです。

あらすじ:ポルノ雑誌を発行したら訴えられた。

ネタバレしています。というかストーリーをほとんど書いてしまっています。

ポルノ雑誌「ハスラー」を創刊した実在の人物、ラリー・フリントについての物語です。いつの時代もポルノは目の敵にされ規制されるんですが、彼の訴えでアメリカの法律が変わったよというお話です。こう書くとラリー・フリントがすごい人のように思えるんだけれど、やることがめちゃめちゃなのでウヘーッとなりましたね。

ラリー。ウディ・ハレルソン。少年時代は貧しく、惨めな生活は絶対いやだ! と思っています。70年代になり、弟のジミー(ブレット・ハレルソン。ウディ・ハレルソンの実弟)とともにストリップクラブのオーナーとなった彼は、宣伝用にお店の女の子を使ったポルノ雑誌を発行します。そしてこれが大当たり、あっというまに百万長者になり豪邸を買います。この豪邸、実際にラリー・フリントが1980年代はじめに住んでいたものだそうです。もうね、いつものアレですよ。それまで苦労してきた人ほど、大金が入るととんでもない使い方しちゃうんだよね。問題はここからどう落ちるかということです。で、ラリーは調子こいて女性器が載った雑誌を発行しちゃうんですね。カメラマンが「法律で禁止されてるから女性器はダメ」って言うのに、聞く耳持たないの。

「は? なんで? 意味わかんない。だって男は神様が作ったもんでしょ、女も神様が作ったもんでしょ、女性器だって神様が作ったもんじゃん、文句あるなら神様に言ったらいいよ。つべこべ言わずに撮って」とか言ってゴリ押ししちゃうんですね。まあ言っていることは間違っていないんだけど、捕まるよ? と思っていたら案の定捕まるわけです。

そこへ現れたのが弁護士のアラン・アイザックマン(エドワード・ノートン)。ひょろひょろした弱そうな男です。ラリーはアランを完全になめているわけ。でもアランの熱意に押される形で雇うことになるんですね。そしてここから、猥褻物なのか表現の自由なのかを主とした戦いが始まるのでした。

ラリーは「自由な出版を守る会」の集まりで、出版の自由について演説をかまします。戦争の写真とヌードの写真を交互にスクリーンに映して、どっちが忌まわしいのかと問いかけます。戦争とヌードだったら戦争の方が忌まわしい、わたしもそう思います。だからね、このシーンとかは、すごくラリーの主張がよくわかる、わかりやすいし、まともだと思うんです。バカっぽいけど良いこと言うじゃないと思ったんです。

「ハスラー」ははちゃめちゃな雑誌なんです。いっときラリーが宗教にハマってしまったために、宗教とポルノがまじったみたいなおかしな雑誌になったり、読者を煽るためにケネディ大統領暗殺事件の犯人を見つけたら100万ドルあげますとか載せたりするんですね。ちなみにウディ・ハレルソンの父親はケネディ暗殺事件の犯人だと疑われていました。

それでね、いろいろありましてラリーは身体に不調が出てしまい、働けなくなるんです。妻のアルシア(コートニー・ラヴ)とふたりで家にこもってドラッグばっかりやっているんです。コートニー・ラヴはたいへん良かったです、ダメな感じが。最後のほうとかもうフラッフラなんですよ。で、その間、会社は弟が切り盛りしているわけです。ラリーはほとんど会社経営に関与していないのに、「俺が社長だ!」と威張り散らかしているんですね。たま~に会社に来て、時代遅れのめちゃくちゃなこと言って、お金だけ吸い上げている人なんですよ。裁判のときに大量の現金をゴミ袋に詰めて持ってきて、ほうら保釈金だぞう、とか言ってぶちまけたりするんです。オムツ姿で。部下が働いて稼いだ金をオムツ姿で。おまえ、その金はおまえが働いた金じゃないじゃんよって思うんです。

わたしね、下品で行儀の悪い人が好きでないんです。行儀の悪い人が好き、って言う人はいないと思うんですけどね。ラリーも、奥さんのアルシアもめちゃめちゃお行儀が悪いんです。
別に家の中だけならいいんですよ、でも食事に招かれて、そんな場でもおうちの中と同じ態度だと、もうほんと見ててキツイです。見ていて身体が震えましたね。プルプルしちゃった。ストレスが溜まっていくのを感じました。

裁判だって何度もやるんですけど、弁護士がひとりでがんばっているようなものなんです。がんばってなんとか無罪を勝ち取ろうとするんです、でも最後の最後でラリーがぜーんぶぶち壊しちゃう。まったく手に負えない。一度弁護士がラリーにキレる、そのときはほんとスッとしました。いつまでこいつに付き合ってあげてるんだろうって思いますからね。実際は弁護士はひとりだけじゃなくて、アランというキャラは何人もの弁護士をまとめた姿だそうです。

最終的にラリーは最高裁に上告し、そこで勝利を勝ち取るわけですけれども、その裁判の様子は一切描かれないんですね。たぶん、最高裁ではラリーはめちゃめちゃなことはやらなかったんだと思うんです。そこを描かないという選択、これはね、ほんと素晴らしいと思います。ここまでずっと不愉快な人物だったラリーが、最高裁だからってしおらしくしているような様子を描いてしまうと陳腐なものになる、っていうことだと思うんです。

ラリーは一切の成長を見せないんです。この人が実在の人物だからということも多少あるのでしょう、フィクションのように、不愉快な人物が何かのきっかけで心を入れ替えるとか、そんな美しいことはそうないのです。わたしもそこにはまったく期待していない、むしろこの人に反省されてもどうよと思う。ましてや彼は自分が悪いとは思っていないわけなので、これはもう当然のことです。一貫して人物像を崩さない描き方には非常に感動しました。

これは何度も書いてきたことなんですけれど、登場人物が不愉快だからといって、それは映画が不愉快ということとは繋がらないんです、基本的には。『ラリー・フリント』は、映画としては面白いと思うんです。もう1度見たいかというとそれはないんですけど、つまんないっていうわけじゃないのね。むしろここまで観客をイラつかせるってすごいと思いますね。あとこの映画、時代感がすごくて、ファッションがどんどん変わっていくんです。『ブギーナイツ』もそうでしたけれど、こういうところをきっちりやっているの、すごく好きです。ラリー・フリントはたいへん不愉快な人物ですけれども、一番不愉快なのは、彼のように刺激的なことを言う人の口調だけ真似て本当はなにも考えていないような人ですね。いますよね、そういう人。

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