ぼくが生きてる、ふたつの世界/聞こえない両親と聞こえる僕

人間ドラマ
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ぼくが生きてる、ふたつの世界

監督:呉美保/2024年/日本
©五十嵐大/幻冬舎 ©2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

マスコミ試写で鑑賞。2024年9月20日(金)新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開。
ろう者の役はすべて実際のろう者が演じています。なお、私は『コーダ あいのうた』(2021年)も『エール!』(2014年)も観ていません。

あらすじ:両親の耳が聞こえません。

ネタバレはありません。

宮城県の港町で、耳の聞こえない夫婦のあいだに産まれた五十嵐大(吉沢亮)は、幼い頃から母親(忍足亜希子)の通訳をしていました。


しかし大は、成長するに従って自分が置かれている境遇が他人と違うことに戸惑いや苛立ちを感じるようになっていきます。20歳になった大は上京し、アルバイト生活を始めるのですが……。

父親(今井彰人)から、両親が結婚したばかりのときのことを聞いている大のようすを見ていて、なんとなくですが「父親と息子ってこんなかんじで接するものなのかな」と思いました。まあもちろんみんながみんなこうだとは思いませんが、母親と娘、父親と娘のかんじとは違うんだろうな、と。今までもいろいろな作品で親子のようすを観てきたけれど、父親と息子の関係性についてリアルに感じたのは初めてかもしれないです。実際にそれがリアルなシーンかどうかはまた別で、現実味があると「感じさせる」シーンだと思いました。

その他にも、大が就職した先で起きることであるとか、仕事の関係で会った人のようすとかがとてもリアルに感じるんです。大がけっこう感情を顔に出しちゃうほうなので、ヒヤヒヤして見守るときもありました。

ネタバレになるので具体的に書けないのがもどかしいのですが、後半に大が母親と話すシーンがあります。3分に満たないくらいの短いシーンなんですけど、突然いろいろな感情が襲ってきて泣いてしまいましたね……最近、映画を観て泣くことが多すぎてびっくりです。さきに書いた、父親と息子の関係性についてと同じで、もしかしたらこの短いシーンのように、母親と息子はすれ違うのかなと思います。そんなことを思っていたら、ラストの展開でもう完全に私は駄目だ、泣いてしまってしょうがなかったです。

この映画で描かれる、私が感じた現実味のあるシーンはすべて、耳が聞こえないこととは関係がありませんでした。ということは、耳が聞こえないことと関係のあるシーンも現実味があるのかなと思います。こればかりは私には経験がないので想像するしかできないのですが……。大が仲間と食事をするシーンで言われることであったり、電車の中での出来事であったり、なんということのない日常を切り取ったそれらのシーンについて、聞こえない人や、聞こえない人が周りにいる人に聞いてみたいです。あなたが見ている世界は、こんな感じなんですか? と。

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