サッパルー!街を騒がす幽霊が元カノだった件
สัปเหร่อ/Supparor/The Undertaker/監督:ティティ・シーヌアン/2023年/タイ
マスコミ試写で鑑賞。公開は2025年9月26日です。長い記事になってしまったので結論から書くとおすすめです。下の方まで読んでもらえると嬉しいです。
もとは『Thibaan The Series(ไทบ้าน เดอะซีรีส์)』という2017年から続くロマコメシリーズのよう。今作はスピンオフです。「サッパルー」ってなんだろうと思ったら「葬儀屋」という意味でした。主人公の最後のシーンで「え?」ってなるので、シリーズを観なくてもとりあえずスピンオフであることは知っておいた方が良さそうです。シリーズのことを日本語で書いてあるブログを見つけたので貼ります↓
タイバーン・ザ・シリーズ(タイ映画) – A Dog's World
このページに書いてありますが、言語はタイ東北部で話されているイサーン語だそうです。
イーサーン語(ภาษาอีสาน)あるいはイーサーン方言は、タイ王国東北部のイーサーン地方で話される言語である。タイ国内ではタイ語の方言とされるが、言語学上はラーオ語と同じ言語集団(ラオ・プータイ)に分類され、その場合、ラオス国内のラーオ語を東ラーオ語、イーサーン語を西ラーオ語と呼ぶことがある。
ラオス国内のラーオ語(以下、ラオス語)とイーサーン語の主な違いとして、ラオス語はフランス語由来の外来語が多いのに対し、イーサーン語はタイ語を経由して英語由来の外来語が多い。
あらすじ:死んだ元カノの幽霊に会いたい。
※ネタバレはありません。
タイ東北部。幽霊が信じられているこの地方に、自殺した妊婦バイカーオの幽霊が現れ、多数の住民に目撃されていました。ところが、バイカーオの元交際相手であるシアンのもとには幽霊が現れません。どうしてもバイカーオに会いたいシアンは、葬儀屋のもとで働くことを条件に、幽体離脱の方法を教えてもらうことになるのですが……。
葬儀屋から教えてもらった幽体離脱の方法は、ざっくり言うと「魂を一時的にどこかへ連れて行く、夢に似ているが現実だ」とのことで、どこかとは? と思う間もなくシアンが爆笑しながら「『ドクター・ストレンジ』かよ! マルチバースだろ?」とあっさり理解していたのですごいなと思いました。さきに書いたとおりスピンオフだからか、キャラクターの紹介ががっつり省かれていて、最初はシアンがどういう人なのかわからなかったのですが、笑顔がキュートで他人を信じやすく一途で、自分が知らない文化を受け入れるのが早く、柔軟な思考の持ち主だなと思いました。まあまあ自分勝手ではあります。
物語の大半は葬式のシーンで、さまざまな種類の葬式が見られます。タイトル通り葬儀屋の話なので……。宗教や生き方の違いで葬式もそれぞれ異なり、どのようにして人びとが身近な者との別れを受け入れるのかがわかって、とても興味深かったです。よく、葬式は死者のためではなくて遺された者が死を受け入れる儀式なのだと言われていると思います。この映画で描かれている葬式はまさにそれで、遺された者たちが、親しかった人のいない明日へ踏み出していく一歩のようだと思いました。さまざまな葬式と同時進行で、シアンとバイカーオの、この世のものではない短いデートが挟まれていくという構成になります。
ラストあたりにある葬式シーンでは、自分でも意外だったのですが泣いてしまいました。私は仲の良い友人や身近な家族を亡くした経験がないため、いずれ訪れるであろう別れに対する覚悟がなく、もしその時が来たら自分がどういう心境になるか、どういう行動を取るかがわからなくて怖いんですよね。もしかしたらそんな心配しなくても私が先にうっかり死ぬかもしれないし。でも、今はぜんぜんわからないままでいいのかなと思いました。人は必ず、いつか死にます。
上に貼ったブログによると、舞台はイサーン地方のシーサケート県ということで、ちょっと調べてみました。
カンボジアとの国境沿いにある静かなシーサケートには、クメール遺跡が豊富に残っています。特に、繊細な建築様式からクメール時代の繁栄が見受けられる古代の仏教寺院、ワット・サー・カンペーン・ヤイとワット・サー・カンペーン・ノーイは最大の見どころです。国境沿いの絶壁パー・モーイデーンからは東北地方が一望できます。
記述が少なくて、観光地としてはあんまり有名ではないのかなという印象です。
私は生まれたから今までシーサケット県に住んでいます。有名なカゥプラウィハーン「เขาพระวิหาร」はシーサケット県に立てられています。タイとカンボシアはカゥプラウィハーン「เขาพระวิหาร」のために 戦争したそうです。その問題は周りに住んでいる人を困らせていました。それで 旅行者はシーサケット県に行きたくないそうです。タイの南の危ない3県に似てると思う人もいます。それはシーサケット県の経済に影響しました。
私はシーサケット県の人として外の人の意見は反対です。カゥプラウィハーン「เขาพระวิหาร」以外にいろいろな観光地が あります。たとえば、自然がいっぱいの場所があります。プラサートワットサカムペンヤイー「ปราสาทวัดสระกำแพงใหญ่」とプラサートワットサカムペンノーイ「ปราสาทวัดสระกำแพงน้อย」 という遺跡もあります。むかし、カンボジアから文化などをもらいました。他に町に近いお寺があります。そのお寺はシーサケット県の歴史を現しています。
シーサケット県の人はタイ人だけではなく4民族が住んでいます。ラオスとカンボジアです。多分みなさん、知っていますね。後、2民族はあまり 知らないと思います。それはヨアー「เยอ」という小さい民族なのでタイでこの県だけにすんでいます。つぎは スアイ「ส่วย」という民族もいます。元のところはカンボジアの北 でした。でも今、メーコン川の周りに住んでいます。
「Story from Sisaket」เรื่องเล่าจากศรีสะเกษ – シーサケート県「Sisaket Province」จังหวัดศรีสะเกษ
実際にそこに住んでいる人が書く文章は興味深いですね。このサイトはほとんどがタイ文字で書かれているため、読めたのはこのページだけでした。
タイ東北地方でラーオ語を話す人々はイサーン人と呼ばれ、長い間、差別され、タイ中央平原やバンコクに生じた発展の恩恵から排除されてきた。事実、政府の政策は何十年もの間、「地方を征服された属州のように枯渇させ」る事で、資本家階級に資本を提供し、都市部の労働力を支援してきたのだ。さらに、教育や国の官僚制度における厳しい言語要件がイサーン出身者を不利な立場に置いている。経済面では、イサーン地方は国のその他の地域より立ち遅れ、貧困発生率は高く、インフォーマル・セクターに従事する者も多い。政治面においても、イサーンは甚だしく排除され、イサーン出身者で行政の高い地位に就く者はごくわずかしかない。1940年代に、このような地位に就いた者の中には、タイ国家によって殺害された者もあった。そうした時期から今日まで、イサーン人とされる人々で政治的汚名を得た者は、イサーン人が人口のほぼ30%を占めている事を思えば、相対的に少ない。
タイ国家は、少なくともイサーン人に関する限り、100年以上にわたって統合的な民族政策をとることで、イサーンのラーオ族をより大きなタイ人アイデンティティに組み込もうとしてきた。これらの政策は、チュラーロンコーン王(King Chulalongkorn/1868-1910)の中央集権化改革の下で始められ、1932年の絶対王政崩壊後も続き、教育政策に最も明確な形をとって表れた。その教育が最も重視していたのが、タイ全土で中部タイ語の使用を標準化することであり、この言語をタイ人のアイデンティティの柱とすることであった。チャールズ・キーズ(Charles Keys)によると、多くのイサーン人が市場経済への統合という目的のため、中部タイ語とタイ人アイデンティティを受容し、タイ人と称する事から生じるプラスの恩恵を享受した。
排除の中での統合、イサーン人のタイ国民のアイデンティティ – Kyoto Review of Southeast Asia
このページにある文章は長いですが、こういうのが読みたかったのでとても満足です。要約すると、「イサーン地方の人々は制度的に排除され続けてきたにもかかわらず、タイ国家による長年の統合政策と教育システムを通じて、広範な「タイ国民」としてのアイデンティティを高く受容している」という内容です。このことによって、イサーン固有の民族動員が広がる可能性は限定的で、「タイ国民としての結束」のほうを優先されるというわけです。これは教育と政治が「うまくいった」結果なのかなと思います。「うまくいった」が誰目線なのかはもうちょっと慎重に発言すべきですが……。


