最後の1本 〜ペニス博物館の珍コレクション〜/ペニスをめぐる物語

ドキュメンタリー、モキュメンタリー
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最後の1本 〜ペニス博物館の珍コレクション〜

The Final Member/監督:ジョナ・ベッカー、ザック・マス/2012年/カナダ

こちらの記事は、2016年に以前のブログ(映画感想 * FRAGILE)に掲載していたところ、Google AdSenseのプログラムポリシー違反であるとの警告を受けたものです。
ポリシー違反の内容としては

不適切とみなされる可能性のある性的な執着や慣習

こちらに抵触したものと思われます。確かに「男性器を収集する」というのは「性的な執着」を含む内容になりますね。そんな映画について触れておりましたので、警告も致し方ありません。思うところはありますが致し方ないと、Google様には日頃からたいへんお世話になっておりますし逆らえません。

問題になった映画が『最後の1本〜ペニス博物館の珍コレクション〜』であった、というところに多少の面白みを感じていて、なぜならば、「ペニスはタブーであるとみなされるが、実際のところどうなのか?」という、映画の内容と一致するように思えるからです。
こちらのブログにはGoogle AdSenseを入れていないので警告も来ませんし、せっかく面白い映画なので、紹介しようと思います。文体が今と違うのはご愛嬌。

Huluで鑑賞。

あらすじ:ペニスを展示したい。

アイスランドにある世界でひとつのペニス博物館には、さまざまな哺乳類のペニスが展示してあります。館長のシッギは、ヒトのペニスを展示したいと思っていました。

ネタバレしています。

ドキュメンタリー映画としては特別変わったことをしておらず、インタビューをメインとして構成されている。やはり扱っているネタの面白さが先にあることは間違いない。シッギは変わった人だとは思うが、彼は収集しているものがたまたまペニスだっただけで、あまり「ペニスであること」にこだわりがあるようには見えない。ただ、こだわりなく物を収集する人もいないと思うので、単に描かれなかっただけか。彼は「ペニスを収集するきっかけ」については話すが、ペニスそのものの魅力について、こちらが思っているほどに熱く語ることはなかった。

ここへ、自分のペニスを提供しようとする人物が2人現れる。一人はアイスランド人の元冒険家、パゥットル。女たらしで有名らしい。もう一人はアメリカ人のトム。この人がクセモノで、この映画はこの人を描こうとしたのではないかとすら思う。パゥットルは自分のペニスにあまり執着がない。一方でトムは「子供の頃から自分が死んだ後にもペニスを残したいと思っていた」などと言う。と思えば、自分は女にだまされて生きてきた、ペニスに悩まされたというようなことも話す。どうにも、本音が見えてこない。
そして、自分のペニスを生きている間に切り落としたいと話し、展示方法やらなにやら指定し、さまざまなペニスの写真をシッギに送りつけ、さらには展示された際、オフシーズンにはアイスランドからアメリカへ返せと言うのだ。彼は自分のペニスに「エルモ」と名前をつけている。

館長は70歳、パゥットルは90代、トムは60代。パゥットルが死んで博物館に「最後の1本」が寄贈されるか、トムが生きながら身体を酷く傷つけるかのどちらか、もしくは館長が死んでしまうかの3択になってくる。この展開が、なかなかにハラハラさせてくる。誰が死んでもおかしくないし、トムがペニスを切り落としてしまってもおかしくないのだ。トムは勝手に物事を決め勝手に動き、病院を探しペニスを勃起させた状態で加工してくれる人を探し、亀頭に星条旗の刺青を入れ、「エルモ」を主人公にした漫画を書き始め……、と、突っ走ってしまう。

欠損に憧れ、自分もそうなりたいと思う人達がいる。彼らの中には、健康な手足を傷つけ、病院で処置してもらい(そのためには「どうしても切除しなければならないが、死ぬほどではない」程度に手や足を腐らせなければならない。もちろん、そうとうな痛みを伴う)、晴れて憧れのアンピュティとなったとたん、やはり切除するべきでなかったと激しく後悔する者も少なくないと聞く。トムは、そんな「アンピュティのワナビー」にも思える。また、「展示されたペニスを人々が見ている様子を見たい」という気持ちもある。とても自己顕示欲が強い人間なのだ。

これにはシッギも参ってしまい、次第にトムと距離を置くようになる。シッギとしては、なんでもいいからペニスが手に入ればいい、口を出されたくはないのだ。さて、ペニスは無事手に入るのか。

ちなみに(アイスランドには)ペニスの「法的な長さ」がある。この条件をクリアしないと博物館で展示されない。

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