ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい/こんな社会の隅っこで、僕たちは傷つけあって

邦画
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ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

監督:金子由里奈/2023年/日本

U-NEXTで鑑賞。公開時、気にはなっていましたが、私自身がぬいぐるみを持ち歩く人なので、共感性羞恥でしぬかと思ってスルーしていました。

あらすじ:ぬいぐるみサークルに入る。

ネタバレしています。注意書きはありません。

恋愛感情がわからない七森剛志(細田佳央太)は、京都にある大学へ進学しました。入学式で知り合った麦戸美海子(駒井蓮)と意気投合し、ぬいぐるみサークルに入るのですが……。


まず、私のぬいぐるみ、おやつちゃんについてはこちら。
LINEのペンギンにハマって立体化してもらった話|ナイトウミノワ
私はおやつちゃんを持ち歩き、写真を撮り、自分と作家さん、おやつちゃんを好きだと言ってくれる人のためだけに写真集を作り、5部程度刷っています。2024年1月1日現在で写真集は9冊目になりました。

七森と麦戸が初めてぬいぐるみサークルの部室に入ったときの、なんとも言えない空気、全員が人見知りといったようすが、ぬいぐるみ云々と関係なく、うわ……ってなりました。こういう人たちっているし、自分がこういう感じになっちゃうことありますね。そして、ぬいぐるみサークルはぬいぐるみを作るサークルではなく、ぬいぐるみと「しゃべる」サークルでした。最初にサークルのみなさんがぬいぐるみとしゃべっている様子を観たときは、自分のことを棚に上げて言いますが、あまり良い感情を持てませんでした。もうちょっとはっきり言うと怖かったです。他の人から私はこういうふうに見えるのか、と思って。

七森はある日、白城ゆい(新谷ゆづみ)に「僕と付き合ってみない?」と言います。七森は高校生のころに女の子から告白されたとき、「恋愛感情がわからない」という理由でその女の子を振っているんですね。好きだけど、友達としてしか見られない、と。そんな七森がなぜ白城に付き合ってくれと言ったのか、ぜんぜんわかりませんでした。試しに恋愛でもしてみるか、みたいな気持ちだったとしたら、のちのち絶対に白城を傷つけるのに、なんでだろうと。それは私が、七森のことをアロマンティックだと思ったからです。でも考え直してみると、すぐにそうやって分類するのはとても失礼なことですね。

白城は現在の日本が男性優位社会であることに疑問をもたず、七森は少し戸惑います。白城は七森のことを「女の子っぽい」と言うし、ジェンダーについての価値観が保守っぽいのかな。彼女は「長いものには巻かれろ」という気持ちで生きているのかもしれません。弱者のことを理解する気がなく(努力もしない、「ない」ことにしているように見える)、他人の行動で嫌な目に遭うことは社会に組み込まれた人間として「普通」なのだ、というようなことを言います。また、恋人と価値観をすり合わせたり、腹を割って話し合いをすることを、白城は「なんか疲れそう」と言うんですね。私は、白城は被害者なんだと思います。男が強いのは当たり前、セクハラされるのも当たり前。恋人との関係を深めるために必要なことすべてを放棄して、すぐに別れてしまう。

七森が性的なからかいを受けて怒ってしまうシーンで、「嫌なこと言う奴は、もっと嫌な奴であってくれ」と言うんですね。これって白城のことも含まれていると思うんですよ。七森と白城は根本的に価値観が合わないけれど、七森は白城のことを嫌いではない。白城が「もっと嫌な奴」だったら、多分、彼らは言葉を交わすこともなかったのではないか、と思います。

この映画に出てくる、ぬいぐるみとしゃべる人たちは、ぬいぐるみをセラピストのように扱っている気がしました。ここは私と彼らが決定的に違うところだと思います。私から見ると、マイナスな感情や言葉をぬいぐるみに投げかけるのは自分勝手で残酷だと思えます。ぬいぐるみは、森の中に掘った穴ではない。ぬいぐるみは私にとって、可愛い可愛いと言う対象であって、しんどい気持ちを吸わせるものではないです。そんなことをし続けていたら、ぬいぐるみに悪い感情が溜まってしまう。呪われてしまうと思うのです。ぬいぐるみサークルの人たちは、他人の痛みを自分の痛みとして吸い取ってしまう人ばかりです。吸い取った痛みを、さらにぬいぐるみに吸わせている。私から見ると本当に、ぬいぐるみがかわいそうです。

最終的に七森と麦戸は、「話していないことがたくさんあるから話そう」と言います。私は、ぬいぐるみサークルの人たちに対して、「それより人間同士で話しなさいよ」と思っていました。ので、私が思ったのと近いところへ着地してびっくりしましたね。

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