『告白』は20年後どうなるか – 20年後の『バトル・ロワイアル』と10年後の『告白』について

邦画
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『告白』は20年後どうなるか

こちらの記事は、2020年11月24日に書いた、『告白』は20年後どうなるか – 20年後の『バトル・ロワイアル』と10年後の『告白』について | 映画感想 * FRAGILEを転載したものです。

10年前、こんな記事を書いていた。
『告白』は10年後どうなるか – 『バトル・ロワイアル』と『告白』について | * FRAGILE

この10年間で、子供たちは何が変わったでしょうか。ゆとり教育の強化と見直し。インターネットの普及における、世界とのつながりと、個人間のつながり(インターネットは10年前からありましたが、あのころは今ほどいろいろな世代の人たちがネットを使っていたわけではありませんでした)。
でも、変わらないことはあります。いつの時代だって、大人はわかってくれない、大人のことはわからないんです。

バトル・ロワイアル』から『告白』へ、「子どもが『わからない』と思っている大人」の描き方が変化したのだなあと思います。10年前にモンスターとして描かれた「わからない大人」は、涙を流すひとりの人間になりました。

映画として、まずいところがあっても、おもしろいと思う。初めて見たときにはつまらなくても、時が経てば面白く思えることもある。似たような映画がでてきたとき、比較することもできる。10年前、「バトル・ロワイアル」を見ることができなかった人たちが、今「バトル・ロワイアル」を見たらどう思うのだろう。10年後、また、「バトル・ロワイアル」や「告白」のような映画がでてきたとき、わたしはどう思うのだろう。そしてわたしが10年後、「告白」を見返したとき、どう思うのだろう。10年後、たのしみですね。

2011年3月1日の記事なので、厳密にはまだこの頃から10年経ってはいないが、誤差誤差、いいでしょう。とにかく、『告白』(2010年)と『バトル・ロワイアル』(2000年)を見返したのである。ちなみに、この10年のあいだにこの2作品を見返したことはなかった。寝かせておいたのだ。


全体的な感想としては、『告白』から引き出せるものが少なすぎる、これに尽きる。原作を読んだ後で観てみると、うまい具合にまとまっているとは思う(演出過多だが)。演出過多という言葉を使えるようになったのが、私が10年前と変わったところだ。

告白』は、映画化としてはこれで正解なのかもしれないとも思う。ただ、10年前、11年ぶりに『バトル・ロワイアル』を観たときの衝撃とまではいかなかった。むしろ今回見返した『バトル・ロワイアル』――20年前の映画が――前回観たときよりも強烈に、私の心を打った。深作欣二監督がどういう映画を撮る人だったのかを、私はいまだに知らないが、監督としての手腕という意味では中島哲也監督はどうやっても深作欣二監督にかなわないということだけが、わかった。

今年、観てはいないのだが、『シグナル100』(2020年)という映画があった。

朝。まもなく始まる学園祭の準備で慌ただしい日々を送る聖新学園高校3年C組の生徒たち。担任教師・下部(中村獅童)に視聴覚室に呼び出された樫村怜奈(橋本環奈)ら36人は、突然、不気味な映像を見せられる。それは≪自殺催眠≫の暗示だったー。
その催眠発動(自殺)のシグナルは、全部で100種類。「遅刻をする」「スマホを使う」「涙を流す」……何気なく普段行っていた行為が死を招く。学校から出ることも、外部に助けを求めることもできない。死の暗示を解く方法はクラスメイトの死のみ。最後に生き残った者だけが、自殺催眠から逃れられるというのだ。
シグナルを発動させてしまった生徒たちが次々と壮絶な死を迎える中、その謎を明かされないまま、下部は教室の窓から飛び降り、突然の死を遂げてしまう。
絶望的な状況のもと、人間の醜い本性が次々と暴かれ、やがて、生き残りを賭けた壮絶なデスゲームへと発展していく。タイムリミットは夜明けまで。樫村は全員が生き残る方法を見つけようと、この見えない恐怖に立ち向かうがー。
催眠を解くのが先か、自分以外のクラスメイト全員の死を見届けるのが先か!?狂気と絶望のデスゲームの結末とは……!?

※公式サイトから引用したのだが、今見たら公式サイトは消えていた。

この映画を観て、比べてみるのもまた面白いかもしれない。配信待ちます。

今から更に10年後、その世界がどうなっているのかなんて想像もできないが、私はまた『告白』と『バトル・ロワイアル』を見返そうと思う。これはもう、私と『告白』&『バトル・ロワイアル』の問題だ。がんばって生きよう。

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