エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命/父と子と聖霊の御名において

伝記映画
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エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命

Rapito/KIDNAPPED/監督:マルコ・ベロッキオ/2023年/イタリア・フランス・ドイツ合作

マスコミ試写で鑑賞。2024年4月26日(金)よりYEBISU GARDEN CINEMA、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開。

あらすじ:子供をさらう(実話)。

ネタバレはありません。

1852年、ボローニャ。ピウス9世統治下の教皇領に、生後6か月の男児が家族と暮らしていました。


6年後。夜中に家族の家へやってきた警察は家族構成を確認し、6歳のエドガルドを異端審問所の命令で連れて行ってしまいます。理由は、何者かの裏切りによってエドガルドが洗礼を受けていたためです。

世界史に疎くて物語を、というか、前提が理解できなかったため、さすがに調べてしまいました。ネタバレにつながる箇所は伏せています。

1858年、イタリアのボローニャのユダヤ人商人モモロ・モルターラ宅で、6歳の少年エドガルド・モルターラが異端審問所警察によって連れ去られ、カトリック教徒として育てられて、■■■■■■。カトリック教徒の■■■が極秘に洗礼を受けさせていたためであった。両親のもとからエドガルドを連れ去った警察はローマの命により行動しており、教皇ピウス9世の承認を受けていた。

引用元:エドガルド・モルターラ – Wikipedia

中盤で父親がエドガルドに会いに行くのですが、そのときのエドガルドの態度は観ていてかなりつらかったです。泣き叫ぶわけでも、家に帰りたいと言うわけでもない。元気でやっているし、夜も眠れるし、ご飯もちゃんと食べている、と言うんですね。エドガルドは同室の男児から「言うことを聞けば早く帰れるよ。賢いもの勝ちだね」と言われたのを覚えていて、いい子にしているふうな態度をとっていたことが、のちにわかるんです。

これは宗教についての物語であると同時に、他人の人生を奪ってしまうもの(それには様々な種類の犯罪が含まれていると思います)についての物語だと思いました。例えば、子供の頃にレイプされた者、例えば、子供の頃に他者から暴行を受けた者。その出来事は被害者の心を深く傷つけ、ともすれば人生を悪い方へ大きく変えるものになってしまうのです。

私と宗教の話をします。

私の母は、私が子供の頃、エホバの証人でした。強烈に覚えているのは、鞭で打たれたことでも家に子供向けの聖書があったことでもなく、祖父母らが住む村の夏祭りでの出来事でした。子供神輿を担ぐことになった私は、それが「他の神様」を祀るものだとわかっていました。そのためかなり抵抗があったのですが理由をうまく言えず、結局、神輿を担ぐに至りました。私はずっと心の中で神様に「こんなことをしてごめんなさい」と謝り続けていました。

母の名誉のため書きますが、母はその後、父(エホバの証人ではなかった)から「俺と宗教のどっちを取るんだ」と言われ、信仰を捨てたと聞いています。私はエホバの証人であった母を憎んではいません。父がいてくれて良かったとは思っています。

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